高山城 (たかやまじょう) (天神山城)
所在地 岐阜県高山市城山 2014.6.16
高山城 (たかやまじょう) (天神山城)
所在地 岐阜県高山市城山 2014.6.16
高山陣屋跡
陣屋の井戸・問屋梅
二の丸跡・金森長近公之像
中段屋形
本丸・使者之間石垣
本丸跡
月見平
高山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 宮川と江名子川に挟まれた舌状台地にある臥牛山に築かれている。
本丸に石垣が残り、北側下段に二の丸があり金森長近の騎馬像が建てられている。一帯は城山公園となって市民の憩いの場となっている。
【案内】 県道460号線「陣屋前」交差点の西に高山陣屋(高山市八軒町1−5)がある[マップコード191 196 340*71] 。陣屋門、役屋などが復元され井戸が残る。
陣屋より東に行った二の丸に駐車場がある[マップコード191 196 357*18] (地図)。駐車場の北に城山公園広場があり中央に「金森長近公之像」が建てられている。
東に行った搦手から南の臥牛山頂上に登る。「中段屋形」があり、搦手門跡の東に「東北曲輪」があり、太鼓櫓の碑がある。
本丸屋形には風呂屋の碑や城跡説明看板がある。使者之間の石垣は良く残っている。水の手曲輪に行く斜面に石垣が残り、月見平がある。大手道方面に南之出丸がある。
城跡は昭和三十一年(1956年)9月7日岐阜県の史跡、天然記念物の野鳥生息地として指定されている。
又、高山陣屋跡は平成元年1月9日、国の史跡名勝天然記念物に指定された。
【歴史】 室町時代、文安年間(1444~49年) 飛騨守護・京極氏の被官、多賀出雲守徳言が天神山城(多賀山城)を築城した。
永正年間 高山外記が在城していた。戦国時代、三木(姉小路)自綱(よりつな) が高山へ進出、飛騨を平定、松倉城を築城した。
越中の佐々成政と同盟し、豊臣秀吉に対抗したことから、天正十三年(1585年)豊臣秀吉の命を受けた越前大野城主・金森長近が三木氏を攻め、飛騨を制圧し、飛騨3万3千石の領主となった。
当初、長近は鍋山城を居城としたが、天正十六年(1588年)天神山城跡を利用して高山城を築城した。
慶長五年(1600年)までに本丸・二の丸を完成させ、その三年後までには三の丸が整備された。築城と同時に城下町の整備も進められ、二の丸北側の高台に家臣屋敷を建設し、西側下段の三町を町人の町とした。そして京都に倣って東山に寺院を集めた。
慶長八年(1603年)子の可重(ありしげ)が2代藩主となり、元和元年(1615年)重頼が3代藩主となり、慶安二年(1649年)頼直が4代藩主となり、寛文五年(1665年)頼業が5代藩主となった。
寛文十二年(1672年)6代藩主となった金森頼時は、元禄五年(1692年)七月、出羽国上山藩への国替えにより、高山城は加賀藩主前田綱紀が預かった。
幕府は八月十八日関東郡代伊奈半十郎忠篤に飛騨代官を兼務させ、二十二日に加賀国前田加賀守綱紀(つなのり)に高山城在番を命じた。伊奈代官は金森氏家臣4家の屋敷を会所として、金森氏移封後の事務処理に当った。
元禄八年(1695年)四月、幕命により高山城は前田綱紀により破却された。3代高山城主金森重頼の三人の娘が居住していた向屋敷に代官所を移して「高山陣屋」と称した。以降明治維新に至るまで、飛騨国内の政務は高山陣屋で執行された。