鳥越城 (とりごえじょう) (国の史跡)
所在地 石川県白山市三坂町 2014.10.28
鳥越城 (とりごえじょう) (国の史跡)
所在地 石川県白山市三坂町 2014.10.28
登城ルート(緑線は車道)
案内図
後三の丸
桝形門
本丸・建物跡
櫓台
中の丸門
二の丸・建物跡・土塁
鳥越城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高120m】
【案内・感想】 県道44号線の東に「鳥越城跡登口」の石碑が建てられている[マップコード507 702 574*66](地図)。そこより道なりに1㎞ほど登ると専用駐車場がある。
南に登ると「あやめが池」に続く空堀があり、「一揆敗れて山河あり」と題されたレリーフが建てられている。
西に3mほど高く「後三の丸」があり、南に「後二の丸」があり、建物礎石が残っている。その南に本丸があり櫓門、門、石垣(一部)が復元されている。
桝形があり、本丸門を入ると、門横に望楼台跡があり、土塁が周囲に残り、掘立柱建物跡、礎石建物跡、井戸、柵列が復元されている。標高約310m比高約120mの本丸からは四方が一望できる。
南に倉や中の丸門が復元された中の丸があり、続いて少し高く二の丸跡に建物跡が平面復元され土塁が残っている。東側下段に古志曲輪があり、二の丸の南東に三の丸の曲輪がある。
【発掘調査】 発掘調査で石臼・茶臼、鉄釘、越前焼きの甕・擂鉢、漆塗り椀などが出土し、鉄砲玉、小刀、鎧断片などが発見された。
鳥越城跡附 二曲城跡として、昭和六十年(1985年)9月3日、国の史跡に指定された。
【歴史】 白山麓山内惣庄の旗本鈴木出羽守を城主とし、天正初年頃(1573年頃)、織田信長による加賀一向一揆討伐が図られる中で、門徒集団である山内衆の抵抗の拠点として築城された。
天正八年(1580年)、織田方の柴田勝家軍によって落城し、山内衆の主領鈴木出羽守一族は、松任城に呼び出され謀殺された。
その後この城は織田方の吉原次郎兵衛の管理下に置かれたが、白山麓門徒の抵抗は続き、攻防戦が展開された。
しかし天正十年(1582年)三月一日、織田方の佐久間盛政によって鎮圧され、300余人が磔に処せられた。この城は、加賀一向一揆の栄光と挫折を最後まで担い続けた、白山麓門徒たちの記録として歴史上の意義をもつ。