崎山城 (さきやまじょう) (天呑城)
最寄地 石川県鳳珠郡能登町崎山4 2014.10.26 2017.6.23
崎山城 (さきやまじょう) (天呑城)
最寄地 石川県鳳珠郡能登町崎山4 2014.10.26 2017.6.23
崎山縄文遺跡説明板
崎山史跡公園
南側遠景
主郭推定地
灯台
崎山城 主郭跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【案内】 棚木城のある遠島山公園と向かい合った半島先端にあり、崎山史跡公園[マップコード329 153 670*20](地図)から南東にかけての一帯で、住宅地となり面影は全くない。
南東の最高所が主郭跡と推定される[マップコード329 153 617*18](地図)。南に海上保安庁灯台がある。
【歴史】 能登畠山氏の重臣三宅氏一族の居城と伝えられる。
三宅総広(ふさひろ)は、能登畠山氏の重臣で七人衆の一人で、家中では温井総貞と共に権力を握っていた。
天文二十二年(1553年)の温井氏と遊佐氏の権力闘争では、温井氏に味方し勝利した。
最後の当主・三宅宗隆は、天正五年(1577年)、上杉謙信の能登侵攻時に降伏し臣従した。
天正七年(1579年)、上杉謙信の死後に七尾城を攻略し、能登を一時的に支配したが、織田信長の軍勢に追われ越後国へ逃亡した。
天正十年(1582年)、本能寺の変後に能登へ戻り、石動山門徒衆と結ぶが佐久間盛政の軍勢に敗北し、捕らえられ自害した。