高島城 (たかしまじょう) (諏訪の浮城・島崎城)
所在地 長野県諏訪市高島1‐20 2013.9.1
高島城 (たかしまじょう) (諏訪の浮城・島崎城)
所在地 長野県諏訪市高島1‐20 2013.9.1
復元三重五階天守・石垣
北側冠木橋・門
復元三重五階天守・堀
北東隅櫓
護国神社
三の丸御殿裏門
高島公園・本丸
高島城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★★】
【案内・感想】 県道50号線「高島城」交差点が城跡の北東に位置する。北側の堀に沿って西に行くと駐車場[マップコード75 148 353*01](地図)が用意されている。
北の冠木橋を渡り冠木門をくぐると本丸敷地で高島公園となっている。北東に隅櫓が復元され、北西隅に三重五階の天守が鉄筋コンクリートで外観復元(昭和四十五年)されており、内部は資料館となっている(表記番地)。
その南に三の丸御殿裏門が移築され、護国神社が建てられている(明治三十三年)。石垣は高く優美な曲線を描いている。又築地塀が腰板付で石垣の上にめぐらされている。
【歴史】 諏訪氏は高島城の北東約1kmに位置する茶臼山城に居城していた。
天正十八年(1590年)諏訪頼忠が武蔵国奈良梨陣屋に転封となり、代わって日野根高吉が茶臼山へ入城した。天正二十年(1592年)から慶長三年(1598年)にかけ諏訪湖畔の高島村に、織豊系城郭として石垣のある天守の城を築城した。
慶長六年(1601年)日野根氏は上野国壬生藩に転封となり、譜代大名の諏訪頼水が2万7千石で入封され、再び諏訪氏が領主となり明治維新まで続いた。江戸時代諏訪藩の政庁であり城主が居住した。
明治四年(1871年)廃藩置県により高島県となり県庁舎として使用されたが、明治八年城の建物は破却され、明治九年(1876年)に高島公園として一般開放された。