奥池ヶ谷城 (おくいけがやじょう)
最寄地 静岡県静岡市葵区奥池ヶ谷54 2016.2.6
奥池ヶ谷城 (おくいけがやじょう)
最寄地 静岡県静岡市葵区奥池ヶ谷54 2016.2.6
登城ルート
遠景
登り口・城跡看板
掘切
腰郭跡
主郭跡・土塁
段郭
奥池ヶ谷城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高90m】
【案内・感想】 県道27号線が奥池ヶ谷地区に差し掛かる表記番地の道路西に登り口があり、駐車スペースがある[マップコード 483 219 202*38 ](地図)。
中河内川に三方を囲まれた要害で、登り口より少し行き、堀跡の先を右に登る。急坂路に木の階段が設けられている。
頂上手前に、堀切があり、右に登ると広い腰郭がある。左に登ってゆくと、段郭を経て、標高362mの山頂に主郭がある。東側に土塁があり、細長く傾斜した主郭の西に、一段下がって段郭があり、中部電力鉄塔(No31)が建っている。碑や説明板等は無い。
【歴史】 『玉川村誌』には、建武三年(1336年)今川範国が軍功によって遠江国守護、次いで駿河守護となった後、興国二年(1341年)家臣友任殿が奥池ケ谷城山に居を構えたと記されているが、詳細ははっきりしない。
または、南朝方の狩野氏が安倍城の出城として築いたとする向きもある。
文久元年(1861年)に新宮高平によって著された地誌『駿河志料』では、「城山、守将年歴も知らず、想ふに今川家臣居住の跡なるべし」と記されている。