大赤見城 (おおあかみじょう)
最寄地 愛知県一宮市赤見2丁目6 2017.1.11
大赤見城 (おおあかみじょう)
最寄地 愛知県一宮市赤見2丁目6 2017.1.11
大赤見公園
民家横・城址碑
城址碑・由来碑
由来碑裏面
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 民家の一角にあり少し躊躇されるが、植込みが開けられ石段があり見学できるようになっている。遺構は消滅している。
【案内】 国道22号線「富士四丁目」交差点より東へ100m行き左折、大赤見公園(表記番地)の南約30mの、民家の植込みの中に城址碑、由来碑が建てられている[マップコード4 789 181*71](地図)。
【歴史】 諸書に織田平七郎が居住したと伝わり、『尾張名所図会』は「服部系図」によると、戦国時代、織田弾正左衛門尉勝久とその子平七郎久長がここに居住した。
久長が楽田村に移った後に、弟敏任の子孫が移住して服部と改姓し、その後裔が永禄三年(1560年)の桶狭間の戦いで活躍した服部小平太であるとされている。
天正十二年(1584年)の小牧・長久手の戦いの末期、羽柴秀吉の第二次尾張出馬の際に戦場となったことから、同年十月には徳川家康が当城に西郷家員を入れて守備させた。