黒谷城 (くろたにじょう) (山中黒谷城)
最寄地 石川県加賀市山中温泉東町1丁目ホ20 2017.6.25
黒谷城 (くろたにじょう) (山中黒谷城)
最寄地 石川県加賀市山中温泉東町1丁目ホ20 2017.6.25
登城ルート
トンネル西側
鉄塔管理道登り口(階段)
尾根鞍部の堀切
送電線鉄塔
尾根をすぐ左へ
堀切
滑り落ちそうな大岩
主郭
主郭西の段郭
黒谷城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高80m】
【感想】 山中温泉東町にある大聖寺川東側の標高234mの山頂に位置し、やや北側を四十九院トンネルが貫通している。
東西に細長い主郭と堀切、階段状の郭が残っている。
【案内】 県道39号線の大聖寺川を渡って斜め右の旧道を約800m行くと、通行止めとなったトンネル手前に駐車できる[マップコード 122 092 144*75](地図)。
道路右側に鉄塔管理用階段があり、比高50mほど登ると鞍部に出、堀切が残っている。
左に登ってゆくと送電線鉄塔があり、更に登ると頂上に出る。遊歩道が続いているがそちらに行かず、すぐ左へ曲がり尾根に分け入る。
約150m下ってゆくと、堀切がある。その西に登ると滑り落ちそうな大岩(帰りの目印となる)があり、頂上に東西に細長い主郭がある。
西側に3段になった小郭があり左右を削られた土橋がある。
【歴史】 南北朝時代に築かれ、建武二年(1335年)長九郎左衛門盛連が城主であったとされる。
天文二十四年(1555年)七月、越前の朝倉教景(のりかげ:宗滴)が一向一揆を討つべく加賀に侵攻した際、一向一揆勢が籠ったとされる。
永禄十年(1567年)、足利義昭の斡旋で朝倉氏と一向一揆衆が和睦した際、一揆方の二城とともに朝倉方の黒谷城、檜屋城(日谷城)、大聖寺城の三城を焼払って和議が成立した。
天正八年(1580年)織田信長の家臣柴田勝家が加賀に侵攻した際、朝倉氏の家臣吉田某と一向一揆方の将岸田常徳がここに立て籠ったが、落城した。