相川陣屋 (あいかわじんや) (佐渡奉行所) (国の史跡)
所在地 新潟県佐渡市相川広間町 2012.6.11 2017.6.4
相川陣屋 (あいかわじんや) (佐渡奉行所) (国の史跡)
所在地 新潟県佐渡市相川広間町 2012.6.11 2017.6.4
冠木門
御役所
東側水堀
陣屋建物跡・土塁
裏御門
馬場跡
勝場(せりば)
相川市街・日本海
道遊の割戸
相川陣屋(地図)
【遺構★★★★★】
【案内・感想】 県道31号線に面して佐渡奉行所跡があり、その向いに駐車場が用意されている[マップコード663 134 006*55]。
安政五年(1858年)頃建てられた奉行所を基に復元され、一般公開されている(大人500円・小、中、高校生200円)。
東側に水堀、木橋が2枚、井戸2本が残り、御役所の西に奉行の住居・御陣屋が平面復元され、土塁が残り、南西に裏御門が復元されている。
北側の一段下がった郭に馬場があり、金を選鉱するための勝場(せりば)が復元されている。
また、東北東約1.7㎞に佐渡金山や金採掘跡の道遊の割戸がある。
平成六年(1994年)5月24日、「佐渡金銀山遺跡」の一部として国の史跡となっている。
指定された場所は、道遊の割戸宗大夫間歩(そうだゆうまぶ)、南沢疏水(みなみざわそすい)などの採鉱関係のものと、佐渡奉行所跡、旧時報鐘楼、旧御料局佐渡支庁庁舎などの経営関係遺跡、佐渡鉱山の開発に功のあった佐渡奉行大久保長安の建てた大安寺である。
【歴史】 関ヶ原の戦いを経て、慶長六年(1601年)佐渡が上杉氏から幕府の支配下となり、佐渡奉行の陣屋は当初は鳴子に設置されていた。
慶長八年(1603三年)大久保長安のころに相川(現在の新潟県佐渡市相川広間町(旧相川町))に移転され、また島内五(後に四)ヶ所に代官所が設置された。
佐渡奉行とは、江戸時代の官職の一つで、老中配下の遠国奉行の一つで、当初は佐渡代官と呼ばれており、正式に佐渡奉行と名乗ったのは、元和四年(1618年)着任の鎮目惟明、竹村嘉理の代からである。
寛永十二年(1635年)~明暦二年(1656年)までの一時期は勘定奉行が兼任した。
正徳二年(1712年)以降は、定員が基本的に2名となる。芙蓉の間席で千石高、役料は千5百俵、役扶持百人扶持であった。配下には組頭二人、広間役7~8人。以下、定役、並役、使役、同心(707人)、牢守、水主、与力(30騎)など300人がいた。
慶応三年(1867年)には禄高にかかわらず3千両の役金が支給された。佐渡奉行は佐渡島内の民政を管轄する町奉行と、長安期に開発された佐渡金山をはじめとする金銀山の経営を管轄する山奉行があった。他にも佐渡の海上警衛、年貢の取立を役務とし、幕末には外国船の監視も行っている。