野尻城 (のじりじょう) (野尻新城)
最寄地 長野県上水内郡信濃町野尻54 2017.6.22
野尻城 (のじりじょう) (野尻新城)
最寄地 長野県上水内郡信濃町野尻54 2017.6.22
登城ルート
登り口
3郭西の空堀
2郭西の空堀
2郭・土塁
2郭東空堀
主郭・西側空堀
主郭東側掘切
野尻城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高40m】
【感想】 野尻湖北岸の標高約700m比高約40mの尾根先端にあり、東端に主郭があり、西に2つの曲輪が空堀を挟んで並んでいる。
2郭と主郭の間に2条の空堀があり、2郭の北に虎口状の土塁が残っており、腰郭につながっている。また東の土塁は3mほどの高さがある。
灌木や隈笹で覆われ、遺構はよく残っているものの、撮影に苦労させられた。
【案内】 国道18号線より東に約1㎞行った野尻湖北岸の、レストラン(表記番地)先に駐車スペースがある[469 026 013*20]。レストラン裏の駐車場端より山に取り付く(地図)。
藪化しているが、尾根を東に直登すると浅い空堀があり、3郭の平坦地がある。更に東に行くと空堀があり、切岸の上に2郭があり周囲に土塁が残る。草木で鬱蒼としており、南に腰郭、北側に虎口がある。
その東に2条の空堀があり、最高所に主郭があるが、隈笹などで覆われている。東に深い堀切が残っている。
【歴史】 築城年代 築城者ともに定かではない。野尻湖に浮かぶ小島に、野尻城(枇杷島城)があり、南北朝時代に使われたとされる。
戦国時代、天文二十二年(1553年)葛尾城主・村上義清を破って、北信濃に勢力を伸ばした武田信玄の勢力下に入った。その後、越後・信濃の境目の城として重要視され、争奪戦が起きている。
永禄七年(1564年)には、上杉謙信の関東進出の隙をついて、武田信玄軍により攻略された。その後間もなく、上杉軍により奪還された。