三日市場城 (みっかいちばじょう) (大宮城・沢渡城・宮原城)
最寄地 長野県北安曇郡白馬村神城11469 2019.8.10
三日市場城 (みっかいちばじょう) (大宮城・沢渡城・宮原城)
最寄地 長野県北安曇郡白馬村神城11469 2019.8.10
登城ルート
神明社入口
神明社(覆屋)
ポンプ小屋後ろより尾根へ
西郭の北側横堀と竪堀
西郭・祠
西郭東の堀切(奥が東郭)
東郭
東郭北側の2段横堀
東郭東の堀切1
東郭東の堀切2
三日市場城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高120m】
【感想】 白馬村神城の神明社背後の、標高878mの山頂に築かれている。
神明社は簡素小規模なもので、覆屋の中に納められ一般には見られないそうだ。
城跡は東西に2つの郭があり、中間に空堀があり、東郭の東側に2条の堀切が残っている。西郭は祠が祀られ、平坦で草木も少ない。一方東郭は東に傾斜しており、鬱蒼としている。
西郭北側に横堀があり、東郭北側にはさらに下段に横堀が設けられ2重になり、竪堀に繋がっている。
【案内】 県道33号線より南に行った表記番地の先に神明社入口があり、その先に駐車できる[マップコード691 808 886*12]。
神明社の右手にあるポンプ小屋後ろより登って尾根に出、山道ははっきりしており、尾根伝いに東へ登ってゆくと、西郭に着く。
昭和三十年(1955年)2月2日、神明社が国の重要文化財に指定された。
【歴史】 築城年代は定かではないが、仁科氏の流れを汲む沢渡氏(さわとし)によって築かれたと云われる。
応永七年(1400年)沢渡五郎は仁科盛房に従い、大塔合戦に参戦した。
天文十四年(1545年)から沢渡兵部盛方が城主となり、永禄十三年(1570年)正月に武田氏に従い、駿河国花沢城攻めの折、討死したと云われる。
天正十年(1582年)沢渡盛忠のときに武田氏が滅亡し、その後は松本城に復帰した小笠原貞慶に仕えた。
神明社は棟札によって、天正十六年(1588年)沢渡九八郎盛忠とその子牛乗により造営奉仕されたという。
天正十八年(1592年)小笠原秀政が松本城より下総国古河城3万石に転封となり、沢渡一族もこれに従ってこの地を去った。