小諸城 (こもろじょう) (酔月城・穴城・白鶴城) (日本100名城28)(日本さくら名所100選)
所在地 長野県小諸市丁311 2013.7.7
小諸城 (こもろじょう) (酔月城・穴城・白鶴城) (日本100名城28)(日本さくら名所100選)
所在地 長野県小諸市丁311 2013.7.7
登城ルート
大手門
三の門
二の門跡・虎口
二の丸虎口・石垣
二の丸跡
南の丸跡
本丸跡・懐古神社
天守台石垣
馬場跡
小諸城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★★】
【感想】 千曲川右岸に向けて伸びた長三角形の河岸段丘上に築かれ、南北両側は谷の断崖となっており、東側の括れた基部に三の門虎口が設けられている。
二の丸の屈折した虎口石垣や、南の郭石垣、天守台石垣がよく残っている。
【案内】 しなの鉄道[小諸駅]北の跨線橋を渡った「小諸城址懐古園」(表記番地)に駐車場が用意されている[マップコード85 590 020*06]。
三の門をくぐり、入城券を求めて三の丸虎口の石垣に至る。
しばらく行くと徳川秀忠が逗留した二の丸跡である。石垣の一つに「かたはらに秋くさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな」と刻まれた牧水の歌碑がある。その南に南丸跡がある。
紅葉谷と呼ばれる空堀に架かる黒門橋を渡ると、本丸跡であり、懐古神社が建てられている。本丸の南東には小諸市動物園が、北には藤村記念館が、北西には小山敬三美術館がある。
その西が天守閣跡でさらに馬場跡の広い敷地があり、小諸出身の臼田亜浪の句碑が建てられている「雪散るや千曲の川音立ち来り」。
懐古園より「しなの鉄道」跨線橋を渡った北東に大手門公園があり大手門が復元(平成二十年)されている(地図:小諸市大手1丁目5−4)。
平成十八年(2006年)4月6日、日本100名城(28番)に選定された。
【歴史】 長享元年(1487年)大井光忠が鍋蓋城を築き、その子光安が鍋蓋城の支城として乙女坂城(小諸城の前身)を築いたと云われる。
戦国時代、天文年間(1532~55年)武田信玄の東信州経営のため現在の縄張りとされた。勝頼の臣下・下曽根浄喜が城代を務め、天正十年(1590年)織田・徳川連合軍の甲斐侵攻の際、小諸城に逃れてきた武田信豊を浄喜が打ち取り首を織田信長に進上したが、浄喜も誅殺されたという。
武田氏滅亡後は、滝川一益、次いで北条氏が所領し、のちに徳川氏に引き渡された。
天正十八年(1590年)小田原征伐で功のあった仙谷秀久が同年5万石で入城した。
関ヶ原の戦いで秀久は東軍に付き、元和八年(1622年)二代忠政が上田城へ転封となるまで居城した。
江戸時代、小諸藩の藩庁が置かれ、その後松平氏、青山氏、酒井氏などが封じられたが、元禄十五年(1702年)牧野康重が移封されてからは、国替えは行われず、牧野氏十代康済の時、明治維新を迎えた。