野府城 (のぶじょう)
所在地 愛知県一宮市開明城堀20 2017.1.11
野府城 (のぶじょう)
所在地 愛知県一宮市開明城堀20 2017.1.11
説明板
開明小学校
城址碑、説明板
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 城跡の一部が開明小学校の敷地となり、城址碑のみで遺構は消滅している。
【案内】 県道14号線に接した市立開明小学校正門の左手に城址碑、説明板が建てられている[マップコード 4 843 092*26](地図)。
【歴史】 築城時期は不明であるが、明応年間(1492~1501年)にはすでに存在し、往時には二重の堀が廻らされ、「尾西市史」によると内堀で囲まれた範囲だけでも東西約300m、南北約200mの規模があったとされる。
城主は織田信秀の5男で織田信長の実弟織田信治が居城としていた。
元亀元年(1570年)姉川の戦いの頃、信治は近江坂本周辺を守備していたが、浅井・朝倉連合軍の攻撃を受けて九月十九日宇佐山城で討死した(26歳)。
信治没後は、『尾張志』(天保年間編纂)に、武藤掃部助雄政(かつまさ)が野府の城跡に住み、尾張藩初代徳川義直に仕えたが、雄政の孫の代に断絶したという。