根本城 (ねもとじょう) (根本砦)
最寄地 岐阜県多治見市根本町12丁目144 2017.8.6 8.24
根本城 (ねもとじょう) (根本砦)
最寄地 岐阜県多治見市根本町12丁目144 2017.8.6 8.24
登城ルート
居館跡(トーヨー印刷)
登り口
主郭・土塁
城跡標柱・土塁
主郭二郭間の堀切
二郭
二郭北の空堀・土橋
若尾氏一族の宝篋印塔
根本城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高80m】
【感想】 高社山の北東、西山町2丁目の舌状に突き出た標高285mの城山と呼ばれる尾根先端部にあり、深い堀切、土塁、空堀、土橋がよく残っている。
3年前、場所が分からなかったが、登り口に真新しい標識、説明板が建てられていた。
【案内】 国道248号線より「トーヨー印刷(株)」(表記番地)という会社に向かう。遺構は無いが、居館跡とされる。
その南約200mの元昌寺墓地の向い側山裾に登り口があり、説明板が建てられている[マップコード70 084 340*01](地図)。墓地横に駐車できる。
山裾を南にゆき、沢を渡って登り、要所要所に標識が立てられている。
旗挙げの松より少し登ると、比高80mに城跡があり、堀切、土塁を備えた小さな主郭があり、土塁上に標柱が建てられている。
北に堀切を挟んで二郭が広がっており、その北に空堀・土橋が残っている。
また東の市道に面して「根本宝篋印塔」の説明板が建てられ[マップコード70 084 375*43]、その先の池の横に若尾氏一族の宝篋印塔がある(地図)。
昭和五十二年(1977年)12月5日、多治見市の史跡に指定された。
【歴史】 甲州若尾村(現韮崎市大草村)の出身で、武田氏の一族武田甲斐守信長の6代目若尾甚兵衛を祖とする。
天文年間(1532~55年)末から天正年間(1573~92年)初頭にかけて、武田氏の東濃へ侵攻した際、若尾氏が根本に拠点の砦を築いた。平時は、「御殿屋敷」(地図)に居住した。
天正十年(1582年)六月織田信長の死後、若尾甚正は兼山城主森長可に従い、大原・根本・小木の所領を安堵された。
天正十二年(1584年)若尾甚九郎元美は、小牧羽黒の合戦に森長可に従って参戦したが、戦死した。
若尾元昌開基の元昌寺(多治見市根本町9丁目157)は、若尾氏の菩提寺で、その南西には若尾氏代々の宝篋印塔がある。