春日山城 (かすがやまじょう) (蜂ヶ峰城) (国の史跡・日本100名城32)
所在地 新潟県上越市中屋敷字春日山 2013.7.8
春日山城 (かすがやまじょう) (蜂ヶ峰城) (国の史跡・日本100名城32)
所在地 新潟県上越市中屋敷字春日山 2013.7.8
登城ルート
謙信公像
三の丸跡
米蔵・土塁
景虎屋敷跡
二の丸跡
本丸跡
天守閣跡
景勝屋敷跡
大井戸
春日山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高100m】
【案内・感想】 「春日山神社記念館」(上越市中屋敷1473)の石段横に駐車場がある[マップコード126 520 228*46](地図)。謙信公銅像(昭和四十四年造)の建つ所より頂上の春日山城本丸へ向け登ってゆく。
杉木立の中に三の丸跡があり奥に北条氏康の子で人質として謙信のもとに来た上杉三郎景虎の屋敷跡がある。三の丸の反対側の米蔵跡は土塁で囲われている。
本丸の東直下に二の丸があり、井戸跡がある。標高179m比高約100mの春日山頂上にある本丸跡は2つの台状になり、南に天守閣跡の石碑が建てられ、北に春日山城址、本丸跡の石碑が建てられている。
西に少し下ると井戸曲輪があり、大井戸が残っている。さらに行くと景勝屋敷跡がある。北に下ると毘沙門堂が復元され、さらに北に直江兼続屋敷跡である。
麓には謙信の墓のある林泉寺(上越市中門前1丁目1−1)があり、慶長の頃の惣門が残る。日本五代山城の一つである。
昭和十年(1935年)8月27日、国の史跡に指定された。平成十八年(2006年)4月6日、日本100名城(32番)に選定された。
【歴史】 越後守護代長尾為景によって既存の要害に大改修が加えられた。
天文五年(1536年)長尾晴景がそのあとを引き継ぎ、天文十七年(1548年)十二月長尾景虎(後の上杉謙信)が兄長尾晴景から家督を相続し入城した。
天正六年(1578年)謙信の死去により景虎との間に起きた跡目相続争いの「御館の乱」が起きた。
天正七年(1579年)乱を制した謙信の姉の子・上杉景勝が入城した。上杉景勝は秀吉の五大老にまでなったが、家康に疎まれ、慶長三年(1598年)会津へ転封となった。
そのあと堀秀治が入城するが、慶長十一年(1606年)年堀秀治の急死に伴い、子の堀忠俊が後を継いだ。
慶長十二年(1607年)福島城(上越市港町2‐16)の完成に伴い行政組織を移し、春日山城は廃城となった。
明治三十四年(1901年)春日山神社が創建され、昭和六年(1931年)毘沙門堂が復元された。