古山城 (ふるやまじょう)
最寄地 長野県上水内郡小川村瀬戸川19280 2016.11.12
古山城 (ふるやまじょう)
最寄地 長野県上水内郡小川村瀬戸川19280 2016.11.12
登城ルート
説明板・案内標識
天満宮参道石段
神社下の郭
天満宮
土橋・堀切と本丸切岸
本丸・祠・城跡碑
2重堀切
古山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高60m】
【感想】 神社の建っている旧本丸は背後に土塁のような高まりがあるだけで、旧態を留めていない。本丸は、土橋と浅い堀跡があり、本丸北西下段に深い2重堀切があり、中々見応えがある。
【案内】 法蔵寺(表記番地)へ向かう道の法蔵寺手前を左折、約750m行くと峠となり、駐車余地がある。その先に、説明板が建てられ、更に50m行くと、天満宮石段が登り口となっている[マップコード 382 399 843*87](地図)。
石段を登ってゆくと、旧本丸跡といわれるところに天満宮拝殿が建てられている。
左手より、200mほど行き、比高30mほど登ると、標高860mの山頂に本丸がある。左側に土塁があり、城跡碑が建てられている。北西に降ると、二重堀切がよく残っている。
北東付近は今から200年ほど前に、南東付近は弘化(1844~48年)の地震で崩落し、旧態は見ることが出来ない。
平成六年(1994年)9月29日、小川町の史跡に指定された。
【歴史】 小川氏は南北朝時代の末期(1392年)に三河国小川苅谷城主であったが、足利義満によってを南北朝が統一されると、南朝方であった小川左衛門貞綱は、信濃に追放された。
元中九年(1392年)最勝寺領小川の庄に移り住んだ小川左衛門貞綱によって築城されたと伝えられ、貞綱、綱義、定縄(さだつな)と三代78年間にわたり、この地域を治めていたとされる。
しかし、戦国期の小川氏は北信濃の村上氏に従属していたが、後に村上氏に背いたため、永正二年(1505年)、村上顯国(あきくに)の命を受けた牧ノ島城主香坂安房守が猶子大日方長政と共に古山城を攻略した。顯国は戦功により小川郷を長政に与えた。この後、古山城は大日方氏の拠城となった。
一方、小川定縄は三河の国(現在の東浦町)に逃れて、やがてかっての領地小川苅谷に復帰し、罪を許され姓を水野に改めたとされる。これが江戸時代譜代大名として知られた水野忠政の先祖であるといわれている。