市場城 (いちばじょう) (朝倉城)
最寄地 三重県四日市市市場町2121−2 2020.9.27 2020.12.5
市場城 (いちばじょう) (朝倉城)
最寄地 三重県四日市市市場町2121−2 2020.9.27 2020.12.5
登城ルート(緑線は車道)
公会所横の標柱
墓地奥へ進む・案内板
案内板
南東の空堀・土橋
東側の空堀
南東虎口の城跡碑・井戸跡
南東土塁上の城址碑
主郭(竹薮)・土塁
北側の土橋・空堀
西側の空堀
市場城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 四日市市市場町の朝明川左岸の河岸段丘に築かれた崖端城となっている。
薮化が凄く入口すら塞がれ、廃車が置かれている。左の屋敷跡土塁右を進むと、土橋があり左右に深い空堀と高土塁が残っている。虎口を入ると主郭は竹林が鬱蒼として、蜘蛛の巣や蚊に攻められ退去した。井戸や石碑があるようだが見落としてしまった。
2回目の訪問で南東側の土橋や井戸、城跡碑を見ることができ、こちらは多少整備されていた。
【案内】 市場町公会所(表記番地)西の道を南に行くとT字路になり、左に行くと墓地に案内板があり、駐車できる[マップコード38 787 412*46](地図)。
墓地より南に行くと入口があり、空堀・土橋がありその先の虎口に城跡碑と井戸がある。右の土塁上に古い城址碑がある(地図)。
T字路から西60mに北側入口がある(地図)。こちらは廃車があり鬱蒼としていて薦められない。
西方約1.7kmには保々西城がある。
【歴史】 築城年代は定かではないが室町時代初期、幕府の奉行衆であった朝倉氏によって築かれたと云われる。保々西城が築かれた後はその支城となった。
朝倉氏は同族の保々西城朝倉氏、茂福城茂福氏などと連携し勢力を保っていた。
天正二年(1574年)織田信長により攻められ落城した。