増島城 (ますしまじょう) (県の史跡)
所在地 岐阜県飛騨市古川町片原町8ー35 2014.6.16 11.7
増島城 (ますしまじょう) (県の史跡)
所在地 岐阜県飛騨市古川町片原町8ー35 2014.6.16 11.7
古川小学校・ 増島天満神社
堀・石垣
堀・石垣
円光寺の移築山門
林昌寺山門(薬医門)
増島城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 現在本丸跡には飛騨市立古川小学校(表記番地)と増島天満神社があり、神社の境内には本丸櫓台の石塁と、小学校建設当時にそのほとんどが埋め立てられた堀の一部が残り、それらが増島城跡として県の史跡に指定されている[マップコード191 518 581*82]。
城の書院は本光寺、城門は林昌寺、円光寺、本光寺などに与えられたとされる。火災にあった本光寺以外の林昌寺(古川町片原町2−27)、円光寺(古川町殿町11−11)には山門として現存する。
【歴史】 天正十三年(1585年)金森長近は三木氏の治めていた飛騨国を攻略して領国とし、高山藩主となり本城の高山城および支城の萩原諏訪城(下呂市)、増島城を築いた。
増島城の建設は天正十四年(1586年)であり、完成すると長近の養子・金森可重(ありしげ) が古川城から移って1万石の城主となった。
長近が慶長十三年(1608年)八月に没して後継者の可重が高山城に入ると、その長子・金森重近が増島城主となった。
可重の死後はその三男である金森重頼が跡を継ぎ、重近は出家(法号宗和)して京都に去った(宗和流茶道の祖となった)。
その後は家臣が入ったと思われるが、慶長二十年(1615年)の一国一城令により、廃城となって古川旅館と改称し、萩原諏訪城と同様に金森氏の別邸となった。
元禄五年(1692年)に金森氏は出羽国上山藩へ移封され、元禄八年(1695年)に高山城と共に破却された。