戌山城 (いぬやまじょう)
所在地 福井県大野市犬山 2017.8.25
戌山城 (いぬやまじょう)
所在地 福井県大野市犬山 2017.8.25
登城ルート
登り口の説明案内板
縄張り図
堀切
土橋・堀切
階段状の郭
西の郭
主郭
南の郭
南の堀切
戌山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高150m】
【感想】 大野城の西約1kmの標高約325mの山頂に主郭があり、三方の尾根に郭、堀切を配置している。
堀切、土橋、竪堀がよく残り、随所に標識があり、遊歩道も整備され登りやすい。
【案内】 国道476号線の「丁農業生産組合種子籾乾燥施設」の北に登り口があり、説明案内板が建てられている[マップコード240 521 797*64](地図)。その南に城内の飲料にされたと伝わる「みくら清水」がある。
南東にのぼると、堀切、郭、土橋・堀切、郭、堀切、郭、竪堀、西郭、主郭と階段状に並んでいる。
主郭北西は鬱蒼として見られなかったが、南の尾根に堀切、郭、堀切と配置されている。
昭和三十五年(1960年)5月11日、大野市の史跡に指定された。
【歴史】 室町時代、幕府の重臣(管領)斯波氏の一族斯波義種により築かれた。
3代目城主斯波持種の子義敏と義廉との家督争いに端を発した斯波氏の内紛に乗じ、朝倉氏に攻め落され、一族の朝倉下野守経景の居城となった。
天正元年(1573年)朝倉氏滅亡後、織田信長の武将金森長近の城となり、天正四年(1577年)大野城を築くまで、越前美濃の国境の要として重要視された。