飯田城 (いいだじょう) (長姫城)(おさひめじょう)
所在地 長野県飯田市追手町2丁目641 2014.11.6
飯田城 (いいだじょう) (長姫城)(おさひめじょう)
所在地 長野県飯田市追手町2丁目641 2014.11.6
飯田市美術博物館
二の丸大通り跡
井戸
長姫神社裏石塁
赤門
飯田城 本丸跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 長姫神社(表記番地)が本丸跡であり、神社裏に石塁が残り、安政六年の「観耕亭碑」が建っている[マップコード143 040 065*81] 。
飯田市美術博物館(追手町2丁目655−7)が二の丸跡に建てられ、「御用水跡」「二の丸大通り跡」が復元され、「二の丸御門跡」、井戸が残る。
桜丸跡の図書館(追手町2丁目677−3)西に赤門(宝暦四年四月・1754年上棟)が残る。
縄張りは、城郭の東部に本丸を置き、断崖に面して西部に向かって二の丸、桜丸、出丸と曲輪を配していた。建造物としては、東西南北100mの規模で土塀に囲まれた本丸御殿を中心に、七棟の建物が建てられていた。
【歴史】 十三世紀初めに小笠原氏の一族の坂西(ばんざい)氏により築かれたといわれる。
戦国時代、天文二十三年(1554年)に武田氏の信濃出兵により武田領国となり、伊那郡代となった武田家臣の秋山虎繁(信友)により強固な城へ改修された。
天正十年(1582年)武田氏滅亡後は毛利秀頼、京極高知が入り、この頃に近世城郭としての姿へ整えられた。
江戸時代になると小笠原氏1代、脇坂氏2代と続き、寛文十二年(1672年)堀親昌が2万石で下野国烏山より入封し、以後明治維新まで堀氏が飯田城に居を構えた。