織田城 (おたじょう)
最寄地 福井県丹生郡越前町上山中6−17 2019.6.20
織田城 (おたじょう)
最寄地 福井県丹生郡越前町上山中6−17 2019.6.20
登城ルート(緑線は車道)
織田神社
織田一族発祥地の碑
林道入口
林道終点(中央より入る)
堀切
竪堀群(右)
帯郭・主郭切岸
主郭・土塁・三角点
北郭
織田城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高100m(林道入口より)】
【感想】 織田(おた)市街の西方に聳える標高296.9mの山頂に築かれている。
林道入口に個人所有なのか関係者以外立入禁止の看板があり臆したが、城跡探訪という事にして徒歩で登ってみた。
期待しないで登ったが意外や、堀切や竪堀、主郭を取り巻く帯郭などよく残っていた。北側に郭があるが、こちらは草が茂ってあまりはっきりしない。
【案内】 国道365号線の表記番地の手前を南に入り、約750m南下すると三叉路に着く[マップコード200 693 654*70]。そこを左へ約450m行くと、左に林道入口があり、その先左に駐車できる[マップコード200 694 396*27](地図)。
コンクリート舗装道を約750m行くと林道終点に着く(地図)。左に折り返した頂上に民家があるが、終点芝生の先より北に下ると、尾根があり、登ると堀切が見られ、その上の斜面左右に竪堀が数条見られる。左側は割と深い。
頂上に主郭があり、三角点が設置され南側に土塁が残っている。その西から南にかけて帯郭がある。
北に尾根を経て北郭があり、先端に段郭が残っている。
越前国二宮劔神社(越前町織田113−1)には、「織田一族発祥地」の石碑や 本殿横に室町様式の茅葺の織田神社が建てられている。
【歴史】 戦国時代、朝倉氏の一族・朝倉兵庫助景綱が織田庄を領し織田氏を名乗り、織田城を築城したとされる。
『朝倉始末記』によれば、永禄十三年(1570年)四月に織田信長が越前国を攻めた際は、景綱は500の軍勢で河野口を守備したとされる。
また、天正元年(1573年)八月の刀禰坂の戦いでは、木ノ芽峠で敗残兵をまとめ一合戦しようとする朝倉義景の命令を無視して織田城に退却した。
景綱は、そのまま織田信長の軍門に降り、朝倉氏滅亡後も引き続き織田城を守った。
天正二年(1574年)に越前一向一揆が勃発すると、同年四月、本願寺の七里頼周が率いる大規模な一向一揆勢に城を攻められた。
織田城に篭城したが多勢に無勢であった為に、景綱は織田城の兵を見捨てて、妻子のみを連れて海路から敦賀郡へ落ち延びた。その後の消息は不明である。