福光城 (ふくみつじょう) (福満城・福光館) (市の史跡)
所在地 富山県南砺市福光4948 2014.10.25
福光城 (ふくみつじょう) (福満城・福光館) (市の史跡)
所在地 富山県南砺市福光4948 2014.10.25
栖霞園西側石垣
説明板
南側石垣
入口石段
栖霞園
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 「福光城址栖霞園」(表記番地)として保存されている[マップコード122 194 650*63] (地図)。周囲の石垣が残り、南側の一方通行路に面した石段横に案内板が建てられている。
建物の横に漢詩「遺蹟茫々在那辺寒煙荒草転蕭然一輪名月今猶古空照興亡七百年」の石碑が建てられている。建物は来訪時、保存修理工事中であった。
昭和三十四年(1959年)11月5日、南砺市の文化財(史跡)に指定された。
【歴史】 寿永二年(1183年)砺波山の合戦で、木曽義仲軍に加わり平家の大軍と戦い活躍した石黒太郎光弘が、福光城を築き、以来300年間石黒氏は栄えた。
戦国時代、一族の福光五郎光信、彦次郎らもここに住み、その城域は広く、堀も東西27間、南北16間あり、城の周囲は城下町として栄えた。
文明十三年(1481年)石黒氏は井波瑞泉寺一向宗徒と戦い敗れ、その後の城域は荒れ放題となっていた。
慶応年間(1865~68年)前村礼蔵、波多易直らが、学問奨励のため、漢学者宮永菽園、弟の半仏両人を福光に招き教えを仰いだところ、弟子が増え明治二年(1869年)にこの荒れた城址の一角に郷学所を建て「栖霞塾」と称し、地方の学問の中心とした。
今は「栖霞園」として町民の憩いの場となっている『南砺市教育委員会』より。