箕冠城 (みかぶりじょう)
所在地 新潟県上越市板倉区菰立 2014.10.2
箕冠城 (みかぶりじょう)
所在地 新潟県上越市板倉区菰立 2014.10.2
登城ルート(緑線は車道)
鎧井戸
箕冠清水・池
城址碑・説明板
二の丸・横堀
二の丸・本丸横堀
土橋・帯曲輪へ
帯曲輪・堀切・本丸
本丸・箕冠城址碑
本丸・箕冠城址碑
箕冠城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高40m】
【案内・感想】 県道184号線との交差点より県道254号線を200mほど行き南に右折し、箕冠山の西側の道を2㎞ほど行くと、西貝屋公民館がある。
その南東約250mより北に左折し、約850m行くと駐車場が用意されている[マップコード126 081 478*51](地図)。
100m程登ると「鎧井戸」がありその先に池がある。池の横に「箕冠清水」があり、「内門」跡がある。その右に城跡碑と案内看板があり、左に二の丸がある。本丸下の横堀・土塁が良く保存され、その先、二の丸の西上段に曲輪がある。
内門より階段を登ると帯曲輪が二段残り、その上段に箕冠山頂上(標高242m)の本丸がある。
駐車場より比高約40mの本丸は30m×25mの楕円形であり、「箕冠城址」の石碑や案内板が建てられている。本丸からの眺望は良く、砕石山や鮫ヶ尾城(西南西約7㎞)、春日山城(北北東約16㎞)、上越市街そして遠く日本海を望める。
平成十九年(2007年)6月1日、上越市指定史跡となった。
【歴史】 築城時期は不明だが、越後国守護上杉氏の重臣大熊備前守朝秀が居城とした城である。
大熊朝秀は弘治二年(1556年)に景虎が出家引退を表明したことを受けて、武田晴信(信玄)に通じ、箕冠城を捨て越中(富山県)に移り、武田氏と呼応して越後に侵攻する機会を窺った。
しかし、景虎が国主に復帰したことで越後侵攻をあきらめ信濃(長野県)に移り、永禄六年(1563年)に武田家に仕官、山県昌景の与力を経て信玄の直臣となり、足軽大将として取り立てられた。
勝頼の代には遠江国小山城代に任じられた。織田氏の攻勢を受け、多くの家臣が寝返る中で武田勝頼に忠義を尽くし、天正十年(1582年)の天目山の戦いで勝頼と運命を共にした。
大熊朝秀の出奔後の箕冠城については明らかではない。間もなく廃城になったとも、信濃口を守備する上杉家の番城として慶長三年(1598年)の上杉景勝の会津転封まで存続したとも考えられている。