広恵寺城 (こうえじじょう)
所在地 岐阜県中津川市福岡269 2014.11.7 2015.5.2 2016.10.24
広恵寺城 (こうえじじょう)
所在地 岐阜県中津川市福岡269 2014.11.7 2015.5.2 2016.10.24
登城ルート(緑線は車道)
広恵寺城入口碑
広縁宮・観音堂
登り口(左)
採石場(城跡はこの上・左隅側から登る)
物見の巨岩・広恵寺堤
城ヶ根山頂上の主郭
北側帯郭・井戸跡
東側堀切
広恵寺城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高110m】
【感想】 登り口が判らず、三度目の挑戦であった。初回に引き返した採石場の左端から思い切ってよじ登り、巨石の間を登ってゆくと、物見に適した巨岩があり、広恵寺堤(池)が眼下に望め、眺望を楽しんだ。
城ヶ根山頂上は、人工のものと思われる虎口や土塁状の高まりがある程度でほとんど残っていない。東に下ると堀切が見つかり、一安心した。主郭の北に下ると、樹木の根付近に井戸跡があり、そこだけ水がしみ出ていた。
【案内】 広恵寺堤の北西交差点付近に「広恵寺城跡入口」の石碑が建てられ、約300m東の三叉路を左に約100m、未舗装道の行き止まりに駐車場があり、広恵寺跡がある(地図)。
観音堂、広縁宮が建てられ、石垣が残っている。その東に古井戸が二本あり、池庭跡が残っている。更に奥に宝篋印塔・五輪塔が建てられている。観音堂南の竹林の中に城主館や武家屋敷の跡が偲ばれる。城ヶ根山(城山)に堀切と井戸跡が僅か残る。数段の郭が東西に並んでいる。
「広恵寺城跡と周辺一体」として中津川市の史跡に指定されている。
城ヶ根山頂への登り口は西に150mほど戻った所にあり[マップコード178 521 818*00] 、登ると採石跡の断崖があり、その先は道が消えている(3回目で挑戦した)。
引き返し、五輪塔の先より登ると中腹まで行けるがこれも道がなくなり、直登すると、門の役目をしていたと思われる岩が2ヶ所ある広い平坦地に出た。後で調べると標高532m比高約110m城ヶ根山頂の東側の鞍部であった。
【歴史】 岩村遠山氏の一族・遠山景利らは、元弘・建武年間(1331~38年)、城ヶ根山に広恵寺城を築き、福岡城とも称された。
木曽川西古道筋にあたり、美濃口、木曽路、飛騨口の守りとして要害の地で、城南の広恵寺跡には武家屋敷があったと伝えられている。
約200年間続き、遠山直廉(なおかど) の時、広恵寺城は苗木の高森に移され、廃城となった。
広恵寺は観応元年(1350年)夢窓国師が唐より持ち帰った観音像を祀り、弟子の枯木(こぼく)禅師は「智源山広恵寺」を開山した。のち後継住職が絶えて廃寺となった。観音堂は明治の廃仏毀釈で取り壊された。
明治の中期地元有志により観音堂は再興されたが、老朽化のため昭和六十年(1985年)堂宇は改築された。