和田山城 (わだやまじょう) (国の史跡)
最寄地 石川県能美市寺井町を20 2019.6.20
和田山城 (わだやまじょう) (国の史跡)
最寄地 石川県能美市寺井町を20 2019.6.20
登城ルート(緑線は車道)
石碑・入口
1号古墳
説明板
空堀(北側)
二の丸・土塁・櫓台
本丸空堀・土橋
本丸・櫓台
二の丸西腰郭
和田山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高20m】
【感想】 能美市和田町の標高36mの低丘陵に築かれている。
丘陵南部の南北に細長い城域で、古墳を櫓台として利用した2つの主要郭があり、空堀や土塁がよく残っている。
【案内】 「能美市歴史民俗資料館」(表記番地)の駐車場が利用できる[マップコード41 060 659*51]。その東に「和田山・末寺山(まつじやま)古墳群」の入口がある。
忠霊塔の南に、配置図、説明板が建てられている。
南に空堀を巡らせた二の丸があり、土塁、8号古墳を利用した櫓台がある。
更に南に、空堀、土橋を備えた本丸がある。本丸の周囲に土塁が残り、中央の9号古墳が櫓台として利用されている。
本丸・二の丸の西側に腰郭が4ヶ所残っている。
昭和五十年(1975年)3月18日、「和田山・末寺山(まつじやま)古墳群」として国の史跡に指定された。
【歴史】 室町時代中期、加賀一向一揆で活躍した和田坊主が築城したと伝えられ、それが和田山の起りと云われる。
織田信長の武将柴田勝家が天正八年(1580年)、家臣の安井家季に守らせた頃に、現在の形に出来上がったとみられる。
和田山城は南加賀の重要な戦略拠点に位置し、一向一揆勢の立て籠もる虚空蔵城や鳥越城攻撃の基地に使われたと考えられる。