千種城 (ちぐさじょう)
最寄地 三重県三重郡菰野町千草2701 2016.9.1
千種城 (ちぐさじょう)
最寄地 三重県三重郡菰野町千草2701 2016.9.1
登城ルート
入口階段・説明板・城跡碑
出丸
虎口
土橋と空堀
主郭・土塁・城址碑
千種城址碑
西側大空堀
千種城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 県道762号線より左折して「千種公会所」(表記番地)の前を西に行くと、城跡がある。階段左に説明板と城跡碑が建てられている[マップコード566 418 473*21] 。説明板の左側に、わずかに駐車スペースがある。
階段を登ると、樹木のある出丸があり、その西に土塁と空堀があり土橋がある。本丸は公園となり、南から西にかけて土塁が残っている。
西側に「千種城址」の石碑が建てられている。南西から降り口があり、西側に大空堀がある。
昭和三十八年(1963年)1月11日、三重県の史跡に指定された。
【歴史】 南北朝時代、後醍醐天皇に仕えた千種忠顯の子顯経が、はじめ禅林寺城に拠り、のち要害のこの地に移り築城したと伝えられている。
戦国時代、北勢地方の頭領として三重郡24郷を領して大いに勢威があった。信長そして秀吉の軍勢に攻められ、最後の城主千種顯理が大阪夏の陣で戦死して、廃城となった。『菰野町教育委員会説明板』より。