飯島陣屋 (いいじまじんや) (伊那県庁)
所在地 長野県上伊那郡飯島町飯島2309 2015.12.29
飯島陣屋 (いいじまじんや) (伊那県庁)
所在地 長野県上伊那郡飯島町飯島2309 2015.12.29
陣屋門・陣屋石碑
復元陣屋
由来碑
陣屋の碑
飯島陣屋跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 国道153号線(三州街道)より西に入った「飯島町歴史民俗資料館飯島陣屋」(表記番地)がある[マップコード143 651 222*52] 。
平成五年(1993年)幕末の姿で復元された。有料で陣屋内部を見学できる(一般300円、小中高校生150円:休館日・月曜・祝日の翌日及び冬季(12/15~3/14))。
冠木門の横に「飯島陣屋」の石碑、説明案内板が建てられている。資料館横に由来の石碑、「飯島陣屋・伊那県庁」の石碑が建てられている。
【歴史】 延宝五年(1677年)江戸幕府の代官役所として飯島陣屋が築かれた。
以来、主に伊那谷の幕府領(天領)を支配し、時期によっては筑摩郡・更科郡・小県郡にも管轄地をもった。
その石高は、はじめ3~4万石前後、18世紀末に5万石を越え、幕末には1万5千石ほどに減少した。
飯島陣屋は討幕によって廃止され、慶応四年(1868年)八月(この年の九月に明治と改元)、新政府は陣屋跡を県庁として、伊那県庁を発足させた。
伊那県庁は信濃と三河の旧幕府領などを県域に取り込み、明治二年(1869年)末の石高は32万石に達した。
明治三年(1870年)九月、県域は南北に二分され、北は中野県として切り離された。
明治四年(1871年)十一月、政府は府県統合を実施し、伊那県を廃止し、松本を県庁として筑摩県を創設した。このとき、政庁としての使命を終えた。『飯島町教育委員会説明板』より。