大沼城 (おおぬまじょう)
最寄地 愛知県豊田市大沼町越田和24 2020.12.5
大沼城 (おおぬまじょう)
最寄地 愛知県豊田市大沼町越田和24 2020.12.5
山裾にある説明板
登城ルート
洞樹院
登り口
3郭
2郭
2郭背後の堀切(振り返る)
主郭南側虎口
主郭・お犬さま
主郭背後の堀切(振り返る)
大沼城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高40m】
【感想】 洞樹院の北東の丘陵先端に築かれており、主郭には「お犬さま」が祀られ背後に土塁、土橋付きの堀切がよく残っている。
南に堀切を挟んで広い2郭があり、さらに南下段に草茫々だが3郭が配置されている。
【案内】 県道77号線に面した洞樹院(表記番地)駐車場が利用できる[マップコード281 128 682*51]。洞樹院は大沼城主の菩提寺となっている。
山裾に説明板があり少し先に登り口があり、主郭まで遊歩道が続いている。
【歴史】 文明年間(1469~87年)木村東見入道安信が築いたとされ、足助の真弓山城(足助城)や、近くの田代城と共に足助七城の一つに数えられていた。
木村安信は信仰厚く西麓に神宮寺を建てたのち、天文二年(1533年)に死去した。
2代新九郎信元の時、天正二年(1574年)四月、大沼城は甲斐の武田勝頼勢に攻め落とされ信元は討ち死にした。
天正三年(1575年)信元の養子・松平親清(近清・大給城主松平乗元の次男)が大沼城主となった。神宮寺を洞樹院と改め菩提寺とした。
親清の没後、天正十一年(1583年)嫡子の近正が跡を継ぎ、徳川家康の旗下で蟹江城を攻めるなどの軍功を立てた。
天正十八年(1590年)家康の関東移封後、上野国三の倉(三ノ倉城)に5千石を賜り三河を離れ、その後大沼城は廃城となった。