河津城 (かわづじょう)
最寄地 静岡県賀茂郡河津町浜154-4 2017.10.8
河津城 (かわづじょう)
最寄地 静岡県賀茂郡河津町浜154-4 2017.10.8
登城ルート
伊豆急行線・南側遠景
登り口
道標・石碑
東側の階段状の曲輪
虎口の冠木門
主郭・説明案内板
北側最高所
北側尾根上段の堀切
北側尾根下段の堀切
河津城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高170m】
【感想】 河津市街を見下ろす標高178.7mの山頂にあり、南北2になった主郭がある。
冠木門、柵が建てられ、北側尾根に堀切が2段になって残されている。
【案内】 国道135号線「浜」交差点より右折、伊豆急行線「河津駅」東の周辺は駐車場が少なく、パチンコ店に駐車させてもらった。
伊豆急行線ガードを潜り、表記番地向いに登り口がある[マップコード248 299 388*18](地図)。
三叉路を右に行き住宅地を抜けると、石畳の遊歩道となる。道標に従い登ってゆくと、階段状の曲輪があり竹林となっている。
西に登ると、冠木門や柵が設けられた主郭がある。主郭は南北2段になり最高所に建物がある。右手より北に回り込むと、石積があり、小郭の下に上下2段の堀切が残っている。
【歴史】 戦国時代初期、足利氏の流れを汲む蔭山勘解由(かげやまかげゆ)により築かれたと云われる。
永享の乱(1438~39年)で、鎌倉公方足利持氏の7男広氏が伊豆に遁れて、蔭山氏初代となり、その後、広親・広忠・家広・氏広と続いた。
延徳三年(1491年)北条早雲の伊豆攻略軍に山の麓から火攻めを受け、落城した。その後、小田原北条氏の家臣となった。