梨打城 (なしうちじょう)
最寄地 岐阜県高山市国府町八日町451 2019.9.7
梨打城 (なしうちじょう)
最寄地 岐阜県高山市国府町八日町451 2019.9.7
登城ルート
城跡碑・菅原神社
菅原神社(左より)
南側堀切
2郭虎口・土塁
主郭・標識
主郭切岸・西郭
主郭北の堀切・3郭
梨打城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高210m】
【感想】 高山市国府町桐谷と国府町八日町の境の標高733.3mの山頂に2郭が築かれている。
北の最高所に主郭があり、南北に細長く切岸や帯郭が一周めぐり見応えがある。
市の史跡の割に、拝殿背後には高い格子フエンスが巡らされ、左尾根にある扉部分がやっと見つけられた(案内が欲しい所だ)。
登りは高い方を目指せばよいが、帰りは岩場から先を少し間違えて、気付いたときにもう一つ西の尾根を下っていた(おそらくフエンスがあり、断崖かも知れない)。そこより東の尾根に戻り、藪の急斜面を手探りで東に移動し、やっと参道のカーブが見え、少し登って元の扉に辿り着けた次第だ。
【案内】 県道76号線より県道473号線に入り、荒城川を渡ってすぐ左折して行った十三墓岐川手前が広く駐車できる[マップコード191 493 296*88](地図)。
そこから北に行くと鳥居が見え、左手に城跡碑が建てられている。
比高30mほど登った菅原神社拝殿左の沢に丸木橋があり、左に30m程登ってゆくとフエンス扉がある。
ここから尾根の山道を北へ登っていくと、岩場があり所々にロープが張られている。
南尾根の堀切があり、登ってゆくとバラ線があり立入禁止の標識があり、2郭虎口に着く。
虎口に土塁が残り三角点がある。西側に土塁付の横堀があり、南北に細長い。北側に周囲に帯郭と3mほどの切岸を巡らせた主郭がある。 主郭の北に3郭があり、西側に小郭、堀切が見られる。
昭和三十年(1955年)6月20日、高山市の史跡に指定された。
【歴史】 天文年間(1532~55年)頃、高原諏訪城を本拠とする高原郷領主の江馬氏が築いたものと云われ、県道76号線大坂峠の入口に位置し、高原方面から古川盆地へ進出するための重要な拠点であった。『城跡碑由来文』より。
天正十年(1582年)江馬輝盛は三木自綱殿「八日町の戦い」で敗れ、江馬氏の滅亡により廃城となった。