家所城 (いえどこじょう)
最寄地 三重県津市美里町家所2241−1 2021.1.11
家所城 (いえどこじょう)
最寄地 三重県津市美里町家所2241−1 2021.1.11
登城ルート
入口・標識
侍屋敷跡
大手門跡石垣
説明板
西側土塁
主郭・土塁
櫓台・祠
見張り台
西側空堀
家所城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高20m】
【感想】 井面城の東約1kmの比高20m程の丘陵に築かれた平山城となっている。
主郭は広い方形で周囲に土塁が巡り、櫓台、見張り台が残され、東西に空堀が残っている。他に侍屋敷跡、大手門石垣や井戸跡、抜け穴など見所は多い。
【案内】 「広域農道グリーンロード」信号交差点に道標が建てられ[マップコード80 813 748*67]、東へ700m行った明顕寺(表記番地)入口を過ぎたところに標識があり、その手前に駐車した[マップコード80 814 321*27](地図)。
農道を北に歩くと侍屋敷跡があり、説明板と案内図が建てられている。
主郭は土塁が巡り広く、虎口につぶて石と大手門跡の石垣があり、井戸跡、祠、櫓台、見張り台や抜け穴などが見られる。また、主郭の東西に空堀が見られる。
北側には家所氏の菩提寺・什心寺跡があり、家所三河守の墓などが残っている。
【歴史】 長野城を本拠とした長野工藤氏4代氏祐の3男祐蔵が、貞治元年・正平十六年(1362年)家所周辺24ヶ村を領し、家所氏を名乗り築城したと云われる。
家所氏は初代三河守祐蔵より、2代飛騨守祐房、3代弾正祐長、4代玄蕃祐則、5代刑部祐友、6代三河守祐藤、7代隼人正藤實、8代三河守藤安と続いたが、元亀三年(1572年)藤安は織田信長軍との戦いで戦死した。