粟沢城 (あわざわじょう) (和田城)
最寄地 長野県茅野市玉川小泉927−4 2019.8.31
粟沢城 (あわざわじょう) (和田城)
最寄地 長野県茅野市玉川小泉927−4 2019.8.31
粟沢観音参道
粟沢観音
駐車場
南側切岸
土塁・城跡碑
城跡碑
粟沢城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 粟沢観音の台地東側にあり、現在は駐車場と北側の宅地となっている。多くのサイトに見られる周囲の樹木は伐採され、切株だけが残っていた。
駐車場の西側に、土塁があり城跡碑(裏面に由来文)が建てられている。
【案内】 県道188号線「粟沢橋」交差点より東に行くと、粟沢観音(表記番地)の台地が見えてくる。
その東側の道路より北に回り込んだ駐車場の横に土塁があり、城跡碑が建てられている[マップコード218 576 343*42]。
【歴史】 保元年間(1156~59年)、粟沢七郎(諏訪安芸守の弟敦家の4男)が、この地に館を構え、「粟沢殿」と称された。 粟沢氏により粟沢観音が創建されたという。
天文年間(1532~55年)諏訪頼重の従兄弟粟沢頼豊が、また諏訪氏の分流・沢房重が居住したといわれ、諏訪に侵攻した武田氏に従った。
天正十年(1582年)武田氏滅亡後、織田信長の諏訪侵攻により粟沢越中守頼豊が討死し、粟沢一族は滅亡した。『城跡碑由来文・粟沢観音由来文』より。