小松城 (こまつじょう) (芦城・小松の浮城)
所在地 石川県小松市丸内町二ノ丸15 2014.10.28
小松城 (こまつじょう) (芦城・小松の浮城)
所在地 石川県小松市丸内町二ノ丸15 2014.10.28
説明板
本丸石垣
天守台石垣
鰻橋跡
小松高等学校
芦城公園
来生寺門
小松城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 「県立小松高等学校」(表記番地)グランド西に本丸石垣、天守台石垣が保存されている[マップコード120 593 106*82] 。梯川の南岸にあり、県立小松高等学校のテニスコート付近が本丸で、その南に天守台及び内堀の石垣が残る。
県立小松高等学校の野球場グランドが「琵琶島」で地名が残る。その南の県立小松高等学校校舎が二の丸跡に建てられている。
三の丸跡に芦城(ろじょう)公園(地図:約43,700㎡)があり、園内には小松城三の丸跡の石碑や前田利常像が置かれ、図書館・博物館・本陣記念美術館・茶室などや園池がある。
本丸の南に「葭(あし)島」「竹島」が並び、夫々住宅、小松市役所が建てられている。北側道路横に鰻橋跡石碑(地図)が建てられている。
遺構の保存状態は良くないが、建造物としては、鰻橋御門が来生寺(小松市園町チ‐6)に移築され現存し、御門跡地(古城町104‐2の西)に標柱が建てられている。
また兎御門扉及び葭島御殿兎門扉が金沢市兼六園成巽閣(金沢市兼六町1−2)で、二階御亭入口扉が小松市立博物館(小松市丸の内公園町19)で、それぞれ保管されている。
【歴史】 天正四年(1576年)、加賀一向一揆方の若林長門守によって築城された。
天正七年(1579年)、織田方の柴田勝家に攻められ落城、村上義明が城主となった。
慶長三年(1598年)、村上義明に替わり、丹羽長重が入城した。慶長五年(1600年)、関ヶ原の戦いにおいて西軍に与した丹羽長重が除封され、前田利長の所領となり城代として利長の義兄の前田長種が置かれた。
慶長二十年(1615年)、一国一城令により一旦廃城となった。
寛永十五年(1638年)、前田利常の隠居城として再築され、従来の城郭地は本丸となり、水堀・石垣の構築、二の丸、三の丸、葭島、琵琶島、中土居などを増築し、大規模な改修が加えられた。
万治元年(1658年)、利常が没し、以降明治まで城番が置かれ維持された。
明治五年(1872年)、廃城となり、三の丸に小松懲役場が置かれ、囚人の役務で取り壊しが行われ、本丸櫓台の石垣と井戸が残った。
明治三十五年(1902年)懲役場が金沢市に移転後、明治三十七年三の丸跡に公園が造られ、明治三十九年(1906年)「芦城(ろじょう)公園」と名付けられた。