馬籠城 (まごめじょう)
所在地 岐阜県中津川市馬籠 2014.11.7
馬籠城 (まごめじょう)
所在地 岐阜県中津川市馬籠 2014.11.7
説明板
丸山の坂・説明板
曲輪跡
豊川神社
馬籠城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 馬籠宿入口の南西約400mに位置する、丸山と云う高台にあり中山道に面していた。「丸山の坂」の石碑と説明板が建てられている[マップコード 178 382 204*32 ]。
案内板の西より登ると曲輪跡は畑となり、少し高い竹林の中に「豊川神社」の石碑が置かれている。
【歴史】 今から500年ほど前の室町時代から「馬籠城(砦)」があったことが史料に記されている。
戦国時代、武田信玄の領地となり、武田氏滅亡後は織田信長の時代を経て、豊富秀吉傘下の木曽義昌の治めるところとなった。
天正十二年(1584年)小牧・長久手の戦いの際に豊臣秀吉側に付いた木曾義昌は、兵300人を送って山村良勝に妻籠城を固めさせた。
馬籠城には島崎重通(島崎藤村の祖先にあたる)を入城させ警護させたが、徳川家康方の飯田の菅沼定利、高遠の保科正直、諏訪の諏訪頼忠らの連合軍が現在の馬籠宿の北に陣を張り馬籠城を攻める事を知った島崎重通は大軍に恐れをなし妻籠城に逃げた。城はそのまま放置されたが馬籠は戦火から逃れた。
三軍が陣地とした馬籠宿の北辺りを「陣場」と云われる。
慶長五年(1600年)関ヶ原の戦い以後、徳川氏の直轄領となり、元和元年(1615年)以降は尾張国徳川義直の領地になったが、特に手は加えられず廃城になった。