草生城 (くさわじょう)
最寄地 三重県津市安濃町草生2249 2021.1.10
草生城 (くさわじょう)
最寄地 三重県津市安濃町草生2249 2021.1.10
説明板
登城ルート
入口・説明板
主郭虎口の堀切と横堀
二郭南側横堀
主郭・櫓台
櫓台
主郭切岸・二郭
二郭
主郭北東の横堀
草生城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 津市安濃町草生の標高約128mの丘陵に主郭が築かれている。主郭の西側に櫓台があり、東側に一段下がって二郭がある。
主郭の周囲には横堀が巡り、樹木も少なく容易に見学できる。
【案内】 県道28号線「亀山白山線」に面した民家(表記番地)西に入口があり、説明板が建てられている[マップコード213 050 156*02](地図)。駐車スペースはなく西側に停め歩く必要がある。
フエンス扉よりフエンス左側を北東に行くと、間もなく堀切があり左右に横堀が伸びている。
主郭の北側から東の二郭まで横堀が巡っている。
【歴史】 築城年代は定かでないが、戦国時代に築かれ、国人領主長野氏の一族草生氏が城主であった。草生氏は南北朝時代に長野氏5代豊藤の頃に分家したと云われている。
『勢州軍記』には、家所・細野・分部氏と共に「長野の与力」として、「侍三百人、内馬上五十騎 小人二百人 合五百之大将」と記されている。
永禄十一年(1568年)安濃城が落城した際、草生氏も織田信長の配下になったと云われる。