山中氏屋敷 (やまなかしやしき)
所在地 山梨県南都留郡山中湖村山中13 2015.8.22
山中氏屋敷 (やまなかしやしき)
所在地 山梨県南都留郡山中湖村山中13 2015.8.22
浅間神社入口・連絡橋
諏訪神社裏の土塁
諏訪神社西の国道
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 屋敷跡は諏訪神社境内と考えられ、諏訪神社と西の浅間神社との簡には国道138号線が通り朱色の連絡橋で結ばれている。その南に諏訪神社駐車場がある[マップコード161 012 756*63]。
諏訪神社(表記番地)の北側に凸凹の地形があり、国道138号線側に土塁が残っている(地図)。標識や石碑などはない。
【歴史】 『 延暦・貞観の富士山噴火』杉本 悠樹(富士河口湖町教育委員会)によると、平成二十三年10月、山中湖村教育委員会によって開発行為に伴う山中氏屋敷跡(山中左衛門館)(図7・諏訪神社付近)の試掘確認調査が実施された。
従前の建築物の基礎の影響で上層部は攪乱を受けていたものの、地表以下2mの深さまで掘削断面を確認したところ、6層におよぶ火山灰(スコリア)の堆積が確認されたと記載されている。
山中氏は、『妙法寺記』に「大永七年(1527年)立正寺ノ旦方山中太良左衛門」とみえ、更に同記の明応三年(1494年)の条に「三月二十六日ノ合戦ニハ武田彦八郎殿負ケ玉フ。中略。山中打死ナリ」と記されている。
山中氏は甲駿国境の富士北麓を基盤とした土豪であった。天正十年(1582年)以後は一族が山梨市下神内川に437石を領している。『山梨県教育委員会』情報提供。