安居城 (あごじょう)
所在地 福井県福井市金屋町 2017.8.5
安居城 (あごじょう)
所在地 福井県福井市金屋町 2017.8.5
登城ルート
池の左側を進む
登り口
虎口・城址碑
城址碑
主郭・説明板
説明板
南側崖
安居城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高15m】
【感想】 日野川左岸の丘陵より伸びる尾根先端部にあり、福井平野を一望できる位置にある。
西側斜面を削った削平地を曲輪とし、東側に土塁、南の崖を防御とした独特の城である。
【案内】 県道115号線に面した与須奈神社西より入ると、「かめやま広場」駐車場がある[マップコード63 546 331*22]。
北側の 池の左側へ少し行くと標識があり、比高15mほど登ると安居城跡がある。
主郭虎口に土塁が残り。城址碑、説明板、想像図が建てられている。東西40m南北50mほどの広さがあり、西と北側斜面を鋭角に削り落し敵の侵入を防いでいる。主郭の南に舌状に伸びた郭がある。
【歴史】 南北朝時代、北朝方斯波髙経の足羽七城の1つ。髙経の家臣細川出羽守が築いたとされる。
戦国時代、初代朝倉孝景の弟・経景が支配し、その子景隆、孫景健(かげたけ)が居城し安居殿と呼ばれていた。
元亀元年(1570年)織田信長と浅井朝倉連合軍の「姉川の戦い」で、景健は朝倉方大将を務め、後に湖西、京へも兵を進めた。
景健は朝倉氏滅亡後、信長に降ったが、その後の一向一揆への対応を問われ、自刃に追い込まれた。
天正三年(1575年)豊臣秀吉の臣・戸田武蔵守勝成が1万石を与えられて居城としたが、慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍に属し戦死し、安居城は廃城となった。