直峰城 (のうみねじょう) (県の史跡)
最寄地 新潟県上越市安塚区安塚968 2014.10.2
直峰城 (のうみねじょう) (県の史跡)
最寄地 新潟県上越市安塚区安塚968 2014.10.2
登城ルート(緑線は車道)
駐車場・登り口
倉刈門跡
風間殿御跡・説明板
説明板
増田五郎右衛門御跡
本丸虎口
本丸・風間氏石碑
直峰城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高90m】
【案内・感想】 「添景寺」(表記番地)の南の国道403号線を東に約1㎞行った地点より、北に林道城山線を900m行くと終点に駐車場がある[マップコード298 189 224*08](地図)。トイレ兼用建物があり「案内板」「由来看板」が掲示されている。
北に登って行くと「倉刈門跡」があり「御館様風間信濃守」、「松浦五郎衛門」、「家老小島三右衛門」、「友田嘉右衛門」、「成田駿河守」、「増田五郎右衛門」の屋敷跡が夫々大手道の両側にある。
上り詰めると標高343.8m比高約90mの城山頂上に本丸跡がある。「直峰城跡」の碑や「忠臣風間氏遺蹟碑」の石碑が建てられている。本丸跡「案内板」の近くに弓矢に使われた矢竹が自生している。
昭和三十四年(1959年)3月4日、新潟県の史跡に指定された。
【歴史】 南北朝時代(1335~92年)南朝方の風間信濃守信昭の居城であった。南朝方の有力武将として越後国内のみならず北陸、信濃、関東へも出陣し活躍した。
やがて南朝方が壊滅すると越後守護上杉氏の支配下に組み込まれた。永正四年(1507年)長尾為景の永正の乱では、関東へ逃亡中の守護上杉房能(ふさよし)が立ち寄ったが、長尾為景軍の追撃を受けて松之山に逃れ、八月七日に天水越で自刃した。
為景の子景虎(のちの上杉謙信)の代になると関東遠征の際、春日山城から三国峠へ向かう最短経路上の繋ぎの城として重視された。
慶長三年(1598年)、上杉景勝が会津へ移封された後は春日山城に入府した堀秀治の重臣堀光親が城主となった。
慶長十五年(1610年)に堀秀治の子・福嶋藩2代藩主堀忠俊が改易されると、廃城となった。