成願寺城 (じょうがんじじょう)
最寄地 福井県福井市成願寺町9−30-1 2017.8.5
成願寺城 (じょうがんじじょう)
最寄地 福井県福井市成願寺町9−30-1 2017.8.5
登城ルート
記帳所・鳥居
参番坂付近の竪堀
7合目の 波着寺本堂跡
2重堀切
虎口
主郭・三角点
主郭西の堀切
副郭
副郭西の堀切
成願寺城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高190m】
【感想】 一乗谷城の北4㎞、足羽川右岸の標高214mの山頂にある。主郭は10m四方ほどと狭く中央に窪みがあり、西にやや広い副郭がある。その前後を堀切で切断し防御している。
7号目の波着寺(なみつきでら)本堂跡までは、標識が立てられており安心して登れるが、山上へは標識も無く、赤いテープのある踏み跡を探して登る必要がある。山上は放置された状態で草木が茂っていた。
【案内】 県道178号線南の「成願寺ふれあい会館」(表記番地)駐車場が利用できる(その向いの住宅展示場駐車場も可)。その道路向かいに「波着寺縁起」の案内説明板が建てられている。
県道を100mほど東に行くと、波着寺(なみつきでら)入口の標識がある[マップコード63 408 298*01](地図)。
そこより北に真っ直ぐ200mほど行くと電話ボックスの記帳所と波着寺鳥居に着く。
堀道を登ると、途中に竪堀が残っていた。490mほど登ると5合目にある波着寺観音堂跡に着く。70m先に御泉水がある。戻って90mほど登ると、7合目の波着寺本堂跡に出る。ここまでは参道があり迷う事はない。
本堂跡右より、赤いテープと踏み跡を探して急斜面をジグザグに登ると、主郭東側の尾根に出る(帰りのため赤いテープの目印を覚えておく)。
尾根を左(西)に行くと2重堀切があり、切岸を反時計回りに登ると主郭があり、三角点が建てられている。主郭の西に堀切、副郭、堀切と並んでいる。
【歴史】 養老年間(717~24年)、小浪山(現在の新保宮山)の麓に、泰澄大師により寺が開かれた。足羽川の洪水の折り、川波が堂下まで打ち寄せ、いつしか波着寺(なみつきでら)と呼ばれるようになった。
波着寺には十一面観音像を安置し、真言宗に属していた。平安時代には観音の霊場として知られていた。
寛元元年(1243年)永平寺開山の道元禅師が越前に来られた時、最初ここに身を寄せられた。
文明六年(1474年)波着寺を主戦場とした「波着・岡保の合戦」があり、被害を受けた。
天文十七年(1548年)朝倉4代孝景が波着寺に参詣し、その帰途急死した。
天正二年(1574年)加賀一向一揆が越前に侵入し、平泉寺(勝山市平泉寺町)を焼き払い、波着寺も兵火に掛かり焼失した。
戦国時代、成願寺の地は一乗谷朝倉氏の重臣・前波九朗兵衛が治めており、朝倉方の要衝として城が築かれていた。