大野城 (おおのじょう)
所在地 愛知県愛西市大野町郷前 2014.12.11
大野城 (おおのじょう)
所在地 愛知県愛西市大野町郷前 2014.12.11
大野城址碑・説明板
説明板
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 近鉄名古屋線「冨吉駅」北口より東に300m、北に約500m行った「日光川ウオーターパーク」西側の屈曲した大膳川(現在、三日月湖)の右岸・水田の中が城跡である[マップコード4 153 120*54](地図)。
水田の中に、「大野城址」の石碑と案内板が建てられているが、遺構はほぼ滅失している。
昭和五十四年(1979年)城址に石碑が建てられ、愛西市の史跡に指定された。
【歴史】 天正十二年(1584年)、蟹江城の支城の一つとして、織田信雄の家臣、佐久間正勝によって築城された。
天正十二年四月、小牧・長久手の戦いでは、徳川家康側の城となった。同年六月、羽柴秀吉は長期化する戦いを決するため、蟹江城を味方に付け、滝川一益、九鬼嘉隆率いる水軍で大野城を攻めた。
佐久間正勝の家臣、山口重政は母親を人質に取られたが大野城を守りきり、徳川家康・織田信雄の援軍により蟹江城を落した。その間、大野城に家康の本陣が置かれた。この戦い(蟹江城合戦)が小牧・長久手の戦いの決着をつけ、和議となったといわれている。
廃城時期は不明だが、天正十三年十一月(1585年1月)の天正大地震で大きな損害を被った事から、そのまま廃城にされた可能性が高い。