下倉山城 (したぐらやまじょう) (県の史跡)
最寄地 新潟県魚沼市下倉30 2014.7.17
下倉山城 (したぐらやまじょう) (県の史跡)
最寄地 新潟県魚沼市下倉30 2014.7.17
登城ルート
城跡碑・城山
登り口
井戸
物見郭
物見郭から見た魚野川
主郭切岸
主郭跡
下倉山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高130m】
【案内・感想】 国道17号線「下倉」交差点の西約200mの国道に面して「下倉山城跡」の石碑が建てられている[マップコード140 564 652*74](地図)。
表記番地に隣接する下倉整圧器室の西側の道を北西に30m行き、用水路の橋を渡ると階段登山口がある(地図)。
登ってゆくと、物見郭の手前に井戸が残り、物見郭から魚野川に沿った魚沼の町並が望める。その北に二段の曲輪があり、井戸と思われる窪地があり、土橋状の急坂を登ると標高218m比高約130mの尾根先端に主郭(実城)がある。
城山を関越自動車道「下倉トンネル」が貫通し、魚野川に破間川が合流する北に位置する。
昭和五十二年(1977年)3月31日、新潟県の史跡に指定された。
【歴史】 下倉山城は戦国時代、長尾氏により築城されたといわれる。
天文二年(1533年)越後国守護上杉定実の一族上条定憲による「上条の乱」では、城主福王寺孝重は守護代長尾為景(上杉謙信の父)方に属し、籠城戦の結果、為景の勝利に貢献した。
また天正六年(1578年)の「御館の乱」では、上杉景勝方の佐藤平左衛門秀信が籠城し上杉景虎方と攻防戦を繰り広げている。
慶長三年(1598年)上杉氏が会津へ移封となり、堀秀治が入封すると小倉主膳正煕が城代となった。
慶長五年(1600年)には関ヶ原の戦いの前哨戦となる「上杉遺民一揆」が起き、小倉主膳正煕は一揆軍と戦ったが討死し落城したが、すぐに坂戸城主堀直寄により奪還された。
関ヶ原の戦いの後、廃城となったといわれる。