岡城 (おかじょう) (岡村城) (市の史跡)
最寄地 長野県上田市岡1302 2013.11.23 2020.7.12
岡城 (おかじょう) (岡村城) (市の史跡)
最寄地 長野県上田市岡1302 2013.11.23 2020.7.12
岡城公園・由来碑
由来碑
二の丸・岡城公園・櫓台
外堀
外堀(北から見る)
西側城塁
岡城 二の丸跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 市営岡団地(表記番地)の北に位置し、三日月堀や内掘、本丸の大部分は埋められた。田畑や市営岡団地の敷地となったが、二の丸の北東部と外堀が残り岡城公園となっている[マップコード177 170 359*18]。
川西地区防災センターとの間に堀が明瞭に残っている。曲輪の一段高いところに休憩所、石造の祠、城跡碑などが建てられている。南南東5㎞に岡城ができるまで武田氏の重要拠点だった塩田城がある。
昭和四十七年(1972年)4月1日、上田市の史跡に指定された。
【歴史】 桓武天皇の後裔・権之左衛門尉平清氏が弘仁二年(811年)に信濃守となり当地に築城し、地名をとり岡村氏を名乗った。岡村城と称したという。
天文年間末、武田信玄の家臣・馬場美濃守信房の縄張りによって改築された。内堀、外堀の外に武田氏独特の丸馬出しや三日月堀のある大規模な平城だった。
天文二十二年(1553年)村上義清の葛尾城(坂城町)を落してから永禄三年(1560年)松代に海津城を築く迄の6年間、武田勢の川中島進出の重要な前線基地であった。
浦野川の北に東西460m、南北200m、面積約7万5千㎡の規模で、廃城は武田氏滅亡と同時期と思われる。