鷹巣城 (たかすじょう) (高須城)
最寄地 福井県福井市高須町63-7 2017.8.5
鷹巣城 (たかすじょう) (高須城)
最寄地 福井県福井市高須町63-7 2017.8.5
登城ルート(緑線は車道)
白山神社(右側に登り口)
南尾根の駐車場と登り口
髙山鉄五郎碑
説明板
高須山頂上
鷹巣城址の石碑
北西側の段差
北東側の空堀
鷹巣城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高90m(駐車場より) 】
【感想】 標高438mの高須山山頂にあり、約80m四方の広い平坦地となっている。この日は猛暑のため、車コースで行き、駐車場より300mほど歩いて山頂に到着した。
「髙山鉄五郎碑」は、城址碑建立の資金集めの途中、川に転落死した同氏の供養碑だそうだ(合掌)。
【案内】 徒歩の場合、「高須町集落センター」(表記番地)駐車場が用意されている[マップコード560 718 212*86]。その先の白山神社鳥居右側に登山口がある(徒歩40分)。
車の場合、林道入口[マップコード560 718 034*25](地図)より林道を約1.5km行くと終点に駐車場がある。登り口の右側に「髙山鉄五郎碑」があり、遊歩道を登ると頂上手前に竪堀があり、その先に説明板が建てられている。
主郭は広く、中央に「鷹巣城址」の石碑や祠、方位板が建てられている。北西方向に段々になって緩斜面が続いている。また北東側に空堀が見て取れる。
【歴史】 南北朝時代、新田義貞の四天王の一人畑六郎左衛門時能(ときよし)が足利方の大軍と戦った城である。
暦応元年(1338年)閏七月に総大将新田義貞の戦死、翌二年八月には後醍醐天皇の崩御と大きな痛手を受けた南朝方の城は、北国において鷹巣城だけとなった。
時能はわずか27騎300人で城に立て籠もった。四方には、二十余カ所の北朝軍の陣地が構えられ、7千余騎の軍勢が包囲した。
1年以上対峙したが、暦応四年十月、時能は16騎を率いて城を脱出、勝山の伊地知山を目指したものの奮戦の末同地で戦死、程なく鷹巣城も落城した。