中ノ陣城 (なかのじんじょう)
所在地 長野県松本市中川 2020.10.25
中ノ陣城 (なかのじんじょう)
所在地 長野県松本市中川 2020.10.25
登城ルート
水場
平段群
3段目の石垣
最下段(4段目) の石垣
平段群西の仕切り石垣
尾根の高土塁
主郭・城址碑
城址碑
南側の石垣・段郭
中ノ陣城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高10m】
【感想】 虚空蔵山から南西に伸びた標高約940mの尾根に築かれ、割と広い主郭と尾根を隔てる高土塁が設けられている。
高土塁に石積みが見られ、また主郭南面に石垣がよく残っている。
【案内】 林道虚空蔵線の虚空蔵山登り口の500m程西側に秋吉砦・中ノ陣城登り口がある[マップコード177 091 250*84](地図)。
60m程先に「中ノ陣まで500m」の標柱があり、右側に秋吉砦の長大な竪堀がある。
右に2条の竪堀を見てその先に水の手があり、水たまりがある。南西斜面に6段ほどの帯状郭があり、それぞれ石垣があるが最下段の石垣がよく残っている。
東側は竪堀で、西側は石積みで区分されている。
さらに西側に歩くと、尾根の先に中ノ陣城があり、石積みの高土塁と細長い主郭がある。
主郭には城跡碑、説明板が建てられ南側に石垣が残っている。
【歴史】 築城時期は不明だが、会田盆地を拠点とした会田氏により築城されたと云われる。虚空蔵山城として詰の峰ノ城、居住性の高い中ノ陣城、秋吉砦、物見的な現城などで構成されていた。
天文二十二年(1553年)、武田信玄の信濃侵攻の際、攻撃を受け放火され武田氏の家臣となった。
天正十年(1582年)松本城主・小笠原貞慶の攻撃により落城し、会田氏は滅亡した。
その後、小笠原氏と上杉氏の境目の城となり戦略上重要な城となった。