松坂城 (まつさかじょう) (松阪城) (国の史跡・日本100名城48)
所在地 三重県松阪市殿町 2013.9.3
松坂城 (まつさかじょう) (松阪城) (国の史跡・日本100名城48)
所在地 三重県松阪市殿町 2013.9.3
高石垣
高石垣
中御門跡
月見櫓跡
金の間櫓跡
敵見櫓・天守台
天守閣跡
御城番屋敷・土蔵
松坂城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 県道757号線「新松坂大橋南詰」交差点より東に150mほど行くと市営駐車場[マップコード80 258 791*25](地図)がある。その南の高台の城跡は「松阪公園」として一般開放されている。四方の高石垣が完全に残り景観は素晴らしい。
天守台から松阪市街が展望でき、本丸、二の丸の周囲には石垣の土塁が巡らされ隅々に「月見櫓」「金の間櫓」「敵見櫓」等の櫓台が残る。北に「松坂市立歴史民俗資料館」がある。
本丸の南に「本居宣長旧宅」が移築保存されている。また、南側の市街地の中に「御城番屋敷・土蔵」が保存されている。
平成十八年(2006年)4月6日、日本100名城(48番)に選定された。平成二十三年(2011年)2月7日、約4.7haの城跡が「近世の政治・軍事を知る上で貴重」であるとして、松坂城跡として国の史跡に指定された。
【歴史】 松坂城は蒲生氏郷が、天正十六年(1588年)四五百森(よいほのもり)に築城した平山城である。
天正十八年(1590年)蒲生氏郷は小田原征伐の功により会津60万石の大封を得て若松城に移り、代わって服部一忠が入城した。
文禄四年(1595年) 服部一忠は豊臣秀次事件に連座したと秀吉より叱責され自害し、代わって古田重勝が3万4千石で入城した。
慶長五年(1600年)の関ケ原の戦いの功により家康より2万石を加増された。
重勝はこの年に死去し長子の重恒が幼少のため重勝の弟・重治が襲封した。元和五年(1619年)、古田氏は石見国浜田城に転封となり、南伊勢は紀州藩の藩領となり、松阪城に城代が置かれた。
城内の天守以下の櫓や門等の建物は、正保元年(1644年)台風のために天守が倒壊したとされ、以後は天守台のみが残る事となった。
寛政六年(1794年)には二の丸に紀州藩陣屋(御殿)が建てられた。以後、紀州藩領として明治維新を迎えた。
明治四年(1871年)廃藩置県により廃城となった。明治十年(1877年)失火により二の丸御殿を焼失した。
明治十四年(1881年)頃までに、他の建造物も概ね破却された。現在は殿町御城番に米倉のみが現存している。