鷺山城 (さぎやまじょう)
最寄地 岐阜県岐阜市鷺山北町9丁目12 2014.11.26
鷺山城 (さぎやまじょう)
最寄地 岐阜県岐阜市鷺山北町9丁目12 2014.11.26
説明板
登城ルート
公園北側入口・案内板
北の郭
北郭主郭間の空堀
主郭跡・城跡碑
四阿・説明板
鷺山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高40m】
【案内・感想】 鷺山小学校(表記番地)の南側道路に面した鷺山公民館の駐車場が利用できる[マップコード28 705 618*23]。
少し西に 「鷺山城跡」の案内板があり、比高約40mの鷺山頂上(標高68m)への登り口(地図)がある。
鷺山公園として整備され、南に登ると、駱駝の背のように南北二つの頂があり、中央を空堀で分断されている。南の主郭跡に「鷺山城跡」の石碑が建てられている。
南に一段下がった曲輪に四阿、説明板が建てられている。鷺山には、桜と楓が植樹されて、紅葉が見事で、また山頂からの見晴しは良い。
【歴史】 『美濃明細記』に鎌倉時代の文治年間(1185~90年)、佐竹常陸守秀義が築城した。
室町時代、美濃国守護大名である土岐氏の城となるが、文和二年(1353年)に川手城が築城されると、鷺山城は重要視されなくなり、次第に衰退した。
永正年間、土岐頼芸(よりのり) が鷺山城を再興し、後の土岐氏第11代として川手城に移るまで居城した。
享禄三年(1530年)、斎藤道三により土岐氏が追放され、道三が稲葉山城に拠点を移したことにより、再度衰退した。
天文十七年(1548年)、道三が家督を庶子の斎藤義龍(高政)に譲り、鷺山城を改修、鷺山城に隠居した。
しかし義龍はこの道三の行動を、家督を義龍の弟(次男斎藤龍重、三男斎藤龍定)に譲ると勘違いし、弘治元年(1555年)義龍は二人の弟を殺し、道三は鷺山城から山県郡北野城に逃れた。
翌、弘治二年(1556年)には、義龍は長良川で道三と戦い、討ち取った(長良川の戦い)。この戦いの後、鷺山城は廃城となった。