飯森城 (いいもりじょう) (一夜山城)
最寄地 長野県北安曇郡白馬村神城22184−10 2019.8.10
飯森城 (いいもりじょう) (一夜山城)
最寄地 長野県北安曇郡白馬村神城22184−10 2019.8.10
登城ルート(緑線は車道)
南登り口(登山者駐車場奥)
堀切・馬屋跡切岸
馬屋跡
南の郭
一夜山の標柱
仕切り土塁
北の郭(主郭)・説明板
北の郭・社
北の郭切岸
飯森城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高40m】
【感想】 五竜スキー場の東に位置する標高851mの独立丘陵・一夜山に築かれている。
南北に伸びた尾根上に土塁で仕切られた2つの郭と馬屋跡の郭から構成されている。南北両端は切岸がよく残り、南側には堀切も見られる。井戸跡は鬱蒼とした谷を探したが、見つける事が出来なかった。
【案内】 国道148号線「白馬五竜」交差点より北西に入った「エイブル白馬五竜スキー場」(表記番地)の斜め向かいにある「登山者用駐車場」が利用できる[マップコード691 895 234*85]。
駐車場北東にある給水タンク右から、一夜山への遊歩道が伸びている(地図)。登るとすぐ、井戸跡の看板があり、約400mの歩行距離で、主郭に着く。
小谷村の玉泉寺に城主・飯森盛春の墓がある。
【歴史】 仁科氏の庶流飯森氏の居城であった。
弘治年間(1555~58年)武田信玄の武将山県昌景によって攻められ落城した。
この際、城主飯森日向守十郎盛春は、一夜のうちに逃げ小谷村の平倉城に拠って抗戦した。そのため、一夜山城とも呼ばれている。
弘治三年(1557年)七月五日、平倉城も武田信玄の武将山形昌景に攻められ、盛春は昌景の旗下・曲淵庄左衛門により討ち取られた。