岩尾城 (いわおじょう) (県の史跡)
所在地 長野県佐久市鳴瀬899 2015.10.12
岩尾城 (いわおじょう) (県の史跡)
所在地 長野県佐久市鳴瀬899 2015.10.12
南側遠景
説明板
三の丸跡
空堀
二の丸跡・拝殿
土塁
主郭標柱
岩尾城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 千曲川と湯川の合流する間に位置している。県道78号線「北岩尾」交差点を西に約160m行き、南に細い道を行くと伊豆・箱根三島神社(表記番地)がある[マップコード85 322 090*31]。駐車余地は少ない。
東側鳥居の方から三の丸跡、社殿の建つ二の丸跡、西側の裏手の主郭と並んでいる。三の丸と二の丸の間に空堀があり、二の丸と主郭の間に土塁・石塁がある。主郭は標柱のみで草地となっていた。
昭和四十六年(1971年)5月27日、長野県の史跡に指定された。
【歴史】 文明十年(1478年)に佐久郡大井庄の地頭大井氏の支族大井行俊によって、岩村田館守護のため、岩尾の地に築城されたと云われる。
室町時代中頃から戦国時代末期まで、約400年間にわたり大井氏一族の5代に及ぶ居城として使用された平山城である。
岩尾大井氏は行頼、行吉の頃、武田氏の出仕した為、一時その留守を真田氏が預かったこともあると云われているが、天正十一年(1583年)二月、北条方の行吉は依田信蕃(のぶしげ)に攻められ、信蕃とその弟信行(信幸)を討死させながらも、同年三月三日、行吉は柴田康忠の説得により岩尾城を開城して明け渡した。