大熊城 (おおぐまじょう)
最寄地 長野県諏訪市大字湖南大熊2661 2019.8.17
大熊城 (おおぐまじょう)
最寄地 長野県諏訪市大字湖南大熊2661 2019.8.17
登城ルート(緑線は車道)
南側空堀・主郭土塁
南の郭
標柱・説明板
説明板
主郭の土壇・祠
主郭(北から)
北西空堀
北の郭
大熊城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 諏訪大社上社の北西約1.4kmの丘陵に築かれており、山頂の主郭の周囲に6ヶ所の曲輪が配置されていたという。
現在は畑となっており、空堀が残っている。また主郭の土壇上には千野氏の名を刻んだ祠があるが、当日は葛が繁茂し、見られなかった。
【案内】 県道16号線「湖南小学校入口」交差点より南に行き、表記番地先と中央自動車道の橋を渡る手前に大熊城跡があり、入口に1台駐車できる[マップコード75 027 148*18]。
北西から南にかけて空堀があり、主郭入口に標柱・説明板が建てられている。
【歴史】 築城年代は不明だが、千野氏の居城と伝えられる。大熊城は諏訪神社上社側に属する山城で、文明十五年(1483年)上社大祝家の一門・千野氏と下社大祝(惣領家)金刺興春との攻防の場となった。結果として大祝諏訪頼満(継満の父)は討ち取られた。
天文十一年(1542年)高遠頼継が武田信玄と結んで諏訪へ侵攻した。大熊城には千野入道兄弟が立て籠もっていたが、武田勢に攻められ落城した。