安田城 (やすだじょう) (県の史跡)
最寄地 新潟県阿賀野市保田4807 2014.7.21
安田城 (やすだじょう) (県の史跡)
最寄地 新潟県阿賀野市保田4807 2014.7.21
堀・安田図書館
説明板
堀
主郭跡・土塁
主郭跡・交通公園
安田城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 「安田町町民体育館」(表記番地)の駐車場が利用できる[マップコード32 388 534*06]。
安田図書館の東に主郭跡があり、周囲に内堀が残り、蓮が咲いていた。主郭南側に土塁が残り東に児童公園、北半分に交通公園が整備されている。
外郭部には南側に土塁等一部あるが、体育館や図書館などの公共施設が設置されて、外郭部の遺構は余り残っていない。
昭和四十八年(1973年)3月29日、新潟県史跡に指定された。
【歴史】 平安時代の安田町周辺は白河庄と呼ばれる摂関家の領地であった。鎌倉幕府が開かれると、伊豆の御家人大見氏が地頭に任ぜられ、築城されたと言われる。
築城された頃は、周囲の沼地を天然の堀とした主郭のみの館であったが、戦国期に外郭や堀を増設し、本格的な城郭となったと考えられている。
越後大見氏は地名の安田を名乗り、その分家は分地先の水原氏を名乗った。安田氏は戦国時代には、揚北衆と呼ばれる北越後の国人衆として上杉謙信を始めとする上杉家の家臣として活躍した。城主安田長秀は謙信より血染めの感状を受けており、この書状は現存している。
慶長三年(1598年)に上杉景勝が会津に移封となると、安田氏もこれに従い移った。
その後に本庄城に入った村上頼勝の配下である吉武右近が入城した。元和四年(1618年)村上氏の改易により堀直竒(なおより)が村上城(本庄城から改名)に入り、配下の番城となる。
元和八年(1622年)に一国一城令が発布された事により一旦、廃城となった。
寛永十六年(1639年)、堀直竒の次男の直時(のち直重)が3万石で分封され、安田藩を創設した事により安田城も陣屋として復活した。
しかし、その子直吉は正保元年(1644年)に領地替え(領地交換)により村松(現五泉市)に移り、再び廃城となった。