新潟城 (にいがたじょう)
最寄地 新潟県新潟市中央区一番堀通町1-2 2016.10.8
新潟城 (にいがたじょう)
最寄地 新潟県新潟市中央区一番堀通町1-2 2016.10.8
白山神社
白山公園・瓢箪池
美由岐賀岡
新潟県政記念館・議事堂
新潟県政記念館・議事堂
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 信濃川左岸の微高地にあり、白山公園(表記番地)や白山神社一帯が城跡と比定されている(地図)。白山公園地下駐車場が利用できる[マップコード32 874 298*88]。
白山公園東にある美由岐賀岡(みゆきがおか)は、明治十一年(1878年)明治天皇が巡幸の折、信濃川や弥彦山を眺望され、名付けられたと云われる。
東に趣のある「新潟県政記念館」が保存され、無料見学できる。白山公園は明治六年(1873年)新潟県令の楠本正隆により造られた。その後一角に県会議事堂が建てられた。
【歴史】 天正六年(1578年)上杉謙信が春日山城で死去した後に始まった「御館の乱」での論功行賞の不満から、天正九年(1581年)新発田重家の乱が勃発した。新発田軍勢は新潟津を奪取、このとき砂州を改修して同年に築城したといわれている。
重家の乱を鎮圧するためとして天正十一年(1583年)に出陣した上杉景勝の軍勢は火矢により城を炎上させるも落城せず持ちこたえた。
しかし天正十三年(1585年)十一月二十日、上杉景勝家臣の宮島三河守の計略によって落城した。
現在遺構は見つかっていないものの、岡山大学の『池田家文庫』に絵図が残されている。それに従えば、河川に接した縄張りを城壁で囲み、3層の楼閣2棟・平屋の屋敷2棟・水辺の3層の櫓1棟を備えていたことになる。舟岡城ともいう、その所在は白山神社および白山公園にあったと推定される。